松の内が過ぎました
伊勢から届いた干支守りの写真を正月3日に投稿して、2時間程したらグラっと大きな揺れが来ました。
新年早々ビックリしました。
毎日年賀状の返事を書いています。
日曜日も郵便局まで年賀状を出しに行きました。
松の内が過ぎました
伊勢から届いた干支守りの写真を正月3日に投稿して、2時間程したらグラっと大きな揺れが来ました。
新年早々ビックリしました。
毎日年賀状の返事を書いています。
日曜日も郵便局まで年賀状を出しに行きました。
明治生まれの母の教えは、古き良き時代の思い出です。
幼少時代には、母から、格言や、諺、論語等で諭されました。
論より証拠。
義を見て為さざるは、言うなきなり。
人の振り見て、我が振り直せ。
その時ときに合った言葉で躾られました。
家の中で大声をだせば、
大人し、音無し(おとなし)。
と一声、二声かけられて、後は無言。
小さい声でしたが、幼い心に響きました。
襖や戸の開閉も「音無し(おとなし)、大人し。」で、玄関先での足音も静かでした。
但し、朝の挨拶から始まる大切な挨拶の言葉は、
「ハッキリと伝えるように。」
と躾られました。
雨の日の歩き方も
「踵(かかと)から歩きなさい。」
と嗜められ、
「履物はキチンと揃えて上がりなさい」と言われました。
我が家は今でもゼンマイ仕掛けの振り子時計です。
「チクタク」という音に気付かれた来客が、驚かれます。
時代錯誤かも知れませんが、私は古い人間です。
我が家の振り子時計よりも、年上です。
言うは易く行うは難し。
70を過ぎても本当にその通りだと思います。
昨日は久留米の
木鶏(もっけい)クラブの月例会に出席しました。
月刊「致知」の読者の会です。
人間学を学ぶ月刊誌
「致知」の読者になって、二十年以上になります。
前回の伊勢神宮の式年遷宮の前に、
当時の修養団伊勢道場長の中山靖雄先生から
贈っていただいたのがきっかけでした。
その後、八女出身の歴史小説家で、今は亡き小島直記先生の
「福沢山脈」の講座を受ける機会があり、
それが切っ掛けで、色々な方々とのご縁が深まりました。
私をここまで育てて頂きましたが、想い出の一つは、
故小島直記先生の傘寿のお祝いに
杣の里に記念碑が建立された折に、
ご夫妻と一緒に記念碑の前で撮って頂いた写真です。
碑文には
「文字で心を洗い、心の鑿(のみ)で顔を彫る」
とあります。
二十年経った今も、初心者マークの私です。
十一月の冊子ができました。
論語、方丈記、諺(いろは順)です。
最終号ですので、挨拶文を添えました。
(抜粋します。)
こども達の為にと思って、
一年間楽しく遊び心で、冊子作りをいたしました。鴨長明によって書かれた随筆ー方丈記ーから、
今年はちょうど、八百年の節目と云われています。美しい文章書かれている名作の古典文学で、
冊子作りも終了させて頂きます。五月から、娘裕子の手助けを得て、
写真を添えて「シズカおばあちゃまのお部屋」に
記事を投稿してきました。ようやく目標の百記事に到達致しましたので、
こちらも今年迄と致します。この秋は茶道と百人一首に専念したいと思っております。
季節の変り目です。
皆様どうぞご自愛の上、ご精励下さいますよう、
お祈り申し上げます。有り難うございました。
2012年10月、
久福木庵の浦にて
武田シズカ。