熟し柿、てんまん。

晩秋の山野は日増しに紅葉し、
木漏れ日の射す中を散策すれば、
生命の休養となる気がします。

熟し柿、てんまんには
戦後、物資の無い時代の想い出があります。

母の里に疎開していた頃、
田舎屋の周囲に実るてんまんを見上げては、
前夜からその下に、五右衛門風呂で炊いた藁灰の
入った箱を持ち出して、落ちるのを待っていました。

毎朝、熟し柿を見上げては箱を動かし、
学校から帰ると、箱の中にポトンと落ちたてんまんを
灰の中から取り出しては美味しく喰べた想い出が甦ります。

お歯黒だった祖母は、疎開して来ていた孫達の為に、
男の子には角立て草履、女の子には紅い鼻緒の編込みの草履を
一人一人の子供の足に合わせて作って履かせてくれました。

戦後の物資の乏しい時代に、
母の里の疎開先で孫達を大事にしてくれた祖母との
古の想い出が、熟し柿と共に幸せな気持として甦ります。

幼い頃に人に可愛いがられて育てられた想い出は、
一生の財産であります。

75歳となった今日、祖母や母の生きた姿が、
私にも継承されているように思います。

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