花は語らず

ご近所に山野草の愛好家がいらっしゃいます。

「片栗の花は観られましたか、今、雪餅草が見頃です。」

とご案内頂き、早速、拝見に行きました。

「名前のわからない花の名前を教えて欲しい。」

と言われ、花を預かりました。

我が家に帰り「花遊」と言う本で調べました。
平成元年七月に、加藤淡斎氏との出会いがあり、
直筆のサインが入った豪華本を求める事ができました。

「花遊」には、加藤淡斎氏の
「草花の生態には心魅かれる。」という言葉。
日本各地を巡り、自ら淡斎会を創り、
監修された本でした。
草花と陶芸の出合展などの写真も載っていました。

「花は語らず」の中に、

言葉だけ美しくて実行の伴わないのは、
色あって香りのない花の様なもの。
花の香りは風に逆らっては流れない。

自然に逆らわない人は、
よく眠り、毎日が楽しい。

自然の美、命を宿った1本の木、
草花には刻々と移ろう季節きせつに
花を咲かす。

花は蕾から色づき、実を結ぶ。
この自然が醸し出す造形。

実に人生の縮図。
自然の法則がある。

と記されていました。

平成元年、今山に住む従姉(いとこ)が健在の頃、
三池山の麓、定林寺の下にある田舎屋敷で、
淡斎氏自ら、自然の茶花を摘んで活け、又、
淡斎氏自ら手料理で、茶懐石をされた話には
今もって感動します。

山野草を調べる際に使っている「花遊」は、
思い出多い貴重な一冊です。

利休の死後四百年を記念して作られた本でもあり、
何時も役に立つています。

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写真の白い花は、雪餅草。

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黄色い片栗の花です。

でんでん虫さん蝸牛(かたつむり)、まいまいつぶろのあなた様!

でんでん虫さん、
かたつむり。
まいまいつぶろのあなた様!

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菜種梅雨(なたねづゆ)になり、
我が家の玄関先に
でんでん虫がやってきました。

早速、写真を撮って歌ってあげました。
でんでん虫の歌です。

でんでん虫さん、どこへ行く、
ハイハイ花屋へ、花買いに
お花は何花、ちゅうりっぷ。

でんでん虫さん、どこへ行く
ハイハイ牧場へ、角くらべ
子牛の坊やと、角くらべ

でんでん虫さん、どこへ行く
ハイハイ今日は、引っ越しで
おうちをかついで、さようなら。

保育園での現役時代、
乳幼児期の子ども達には
ゆっくり、優しく語りかけるように、
夢を膨らませて、子ども達の心に響くように
一緒に歌って遊んできました。

物語りの歌を四季を通してたくさん歌い、
夢と希望と温かさを伝えてきました。

日本には四季折々の自然を表した
美しいことばが沢山あります。

美しい自然が生み出した日本の言霊を
子供達へ継承したい。

そう思いながら、
まいまいさんの写真を撮って、歌ってあげたら、
私の気持ちを感じてか、お顔を出して聴いてくれました。

心優しいでんでん虫さん、ありがとう。

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立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花

牡丹の花は中国や日本では花王と称されています。
亡き祖母や義姉が愛好した花でした。

毎年、この時期になると、元、職員のご自宅の庭で
丹精込めて育てられた牡丹の花を沢山頂きました。
薫りが漂い、皆んなを幸せにしていました。

五月に義姉の三回忌を迎える兄の庭には、
故人が可愛がった牡丹がありました。
道行く人達も目を留めて、愛でていました。

今年も、兄の家の牡丹の花が美事に咲きました。

開花すれば、香気が漂い、
人々を幸せにする牡丹の花。

兄宅で、青磁の花入れに生けて
故人を偲びながら愛でました。

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百人一首の朗読

月一回、福岡に通って朗読の指導を受けています。
早いもので、6年目に入りました。

ようやく百人一首を百首すべて読み上げました。
半年で仕上げるつもりでしたが、1年8カ月かかりました。

百人一首を読んでいくうちに、
段々と要領が解ってきて、楽しくなりました。

最後迄難しかったのは、大意の読みかたの、
イントネーションとアクセントでした。
課題は残した方が、又、楽しみながら詠み続けられます。

私なりのやり方で、二十五首づつの冊子を四冊作り、
気負いしないで取組んで、計画的に進めました。

日本の古代から続く言霊の世界や、
豊かで雅な世界に触れて、
長年の思いが叶い、幸せな気持ちになりました。

正しい日本語の音声学を、
一から懇切丁寧にご指導頂いた
プロの先生に心から感謝しています。

ありがとうございました。

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世を思う故に物思う

卯月、十三日、
朝から鶯の声も聴かれず、
時折カラスの鳴き声が聴かれました。

庭の土手になっている金柑は、
ヒヨドリが殆ど食べてしまい、
橙も半分ほど烏の餌になりました。

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元気なもの達だけが生き残れるのだろうか。

と、ふと思いました。

百人一首の九十九首が思い浮かびました。

人もをし
人もうらめし
あじきなく
世を思ふ故に
物思ふ身は

後鳥羽院(ごとばいん)