鹿児島のあく巻に想う

武田家の故人達が喜んだあく巻という鹿児島名物があります。

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三代のおつきあいになる方からの戴き物を、
夜、息子が久福木宅まで届けてくれました。

息子宅にもお福分けして、
我が家のものは、早速仏様へ御供えして御報告しました。

これ迄にもたくさんの方々が、
故人のことも忘れずに大事に思って下さいました。
唯々感謝の一言に尽きます。

今年は縁者を幾人も亡くしました。
ゆっくり先祖供養を致しましよう。

皆様、どうもありがとうございました。

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かごめかごめに故人を偲ぶ

故青木コハキは、戦前、戦後に
和洋裁女学校を経営していました。

その当時、教師をされていた縁者の方が、
後年、祖母が叙勲した際に、
記念の品を作って下さいました。

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かごめかごめの木目込み人形です。

衣裳は母上の古布を使い、
わらべ一人一人の体も全て桐の木を使って作られています。

昔の芸大出身の方です。
今、真多呂人形の指導者は孫弟子の方でしょう。

故人となられましたので、
今は亡き、祖母との記念の写真も添えました。

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亡き夫を偲ぶ秋

今は亡き夫の作品です。

雅号は泰申です。

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NTTを退職後、趣味で始めた篆刻、と篆書。

元来、父親譲りの器用な人でした。

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道法自然は初めての作品です。

師匠の平方研水氏に入門して、一年足らずで県展に入選しました。

機械や道具を集めるのが趣味で、
繊細、緻密な所は父親譲りでした。

篆刻の作品は、
夫の存命中に従兄弟さん方へ記念に差し上げました。

篆書の軸は、徳如海ー寿似山です。

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当時、条幅に書くのも多く、
座敷一杯に広げて、家の中も至る所が夫の作品の作業場でした。

夫の遺した書籍、道具、作品も段々と片付いてきました。
今年は、故人の遺品の整理の年であり、ご先祖様の供養の年でもありました。

味覚の秋は芸術の秋

故家永勝之亮画伯の好物は、
有明海産の魚でした。

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二人の子どもさんと三人暮らしでしたので、
ほいくえんの絵画指導にいらした時のお昼には、
何時も私の手作りのものをお出ししていました。

しゃつぱを出しましたら、最後の一匹をお持ち帰りになって
丹念に描かれました。

後日、

難しくて時間がかかりました。

と話されました。

我が家には、
私の子ども二人と夫へに描いてくださった
家永先生の作品が想い出として遺っています。

私に描いてくださった作品は、
沢山ありましたが皆さんに差し上げました。

家永勝之亮先生の遺作と思い出

故家永勝之亮画伯の「孔雀と子ども」は五十号の絵画です。

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50年近く前の話になりますが、当時、
保育園の子ども達へ毎週一回、絵画、造形の指導に来て頂き、
私も、大変学ばせて頂きました。

子ども達を大切にされた先生でしたので、
子ども達が何時も楽しみに待っていました。

寒い小雪の舞う時に、
県外の孔雀園に何回もスケッチに行かれて、
描いてくださった作品です。

五十号の画には、
先生の子どもを慈しむ優しさと、
こども達を素直に見つめる思いを感じます。

家永勝之亮画伯は二科会会友の方でした。

二科会は、大正二年に文展洋画部の新人が、
洋画部に第二科の設置を具申して入れられず、
文展を脱退して組織したもので、
当時は東郷青児氏が指導的存在でした。