九月の薄茶器

旧暦、九月(長月)は秋の夜長の月です。

薄茶器は、尾花に鶉(うずら)です。

透塗(すかしぬり)の平棗(ひらなつめ)です。

溜め色の平棗には尾花(おばな)が黒漆(くろうるし)で描かれ、秋の夜の澄み渡った空に月が出ているように見えます。

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溜め色(ためいろ)とは、小豆色のことだそうです。

地には金蒔絵の二羽のうずらと小さな草花が、月の光を受けたように照らし出されています。

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秋の夜の侘びた風情が伝わってくる棗です。

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虫の音を聴きながら、九月の薄茶器を片付ける前に、栗の渋皮煮で一服しました。

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秋の七草

萩、尾花(ススキの花穂)、
葛、撫子、女郎花(おみなえし)、
藤袴(ふじばかま)、朝顔の花(今のキキョウの花)。

秋の野に
咲きたる花を
および折り
かき数ふれば
七草の花。

万葉集に詠まれた秋の七草です。

現役時代は、保育園の子供達が調子良く秋の七草が言えるように、言葉を入れ替えて伝えていました。

キキョウ、なでしこ、おみなえし、すすき、はぎ、くず、ふじばかま。

日本は四季折々に短な自然を愉しむ事が出来ます。

季節外れの雨蛙が、我が家の門の上でお留守番をしてくれました。

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太宰府天満宮御用達の梅園さんのお菓子で一服しました。

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九月のお椀は菊慈童です。

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娘が一句詠みました。

菊水を
飲みて家守
雨蛙

実りの秋の御礼参り

九月は色々な事が続きました。

お彼岸のお中日に、太宰府天満宮にお礼参りに行った娘が、私を喜ばせようと老舗の梅園さんで由緒あるお菓子を求めてきました。

9月23日は、ちょうど神幸祭(じんこうさい)の最中で、道真公の御霊はお礼参りの為に外泊中。 お神輿に乗って天満宮にお戻りになる事を梅園さんで教えていただいて、参道で拝礼したそうです。

そんな話を聞いた後で、今日はお抹茶と共にゆっくりと、梅園さんのお菓子を味わいました。

主菓子の宝満山です。

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奥深い上品なお味でした。

和三盆の干菓子も秋の風情が漂う雅なものばかりです。

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今年は、中秋の名月が満月でした。 ススキに月見団子のお干菓子をいただきました。

梅園さんのふのやきは「梅守」です。
天皇皇后両陛下の九州御巡幸の折に献上された記念のお品です。

娘が求めたのは、可愛い「ミニ梅守」でした。
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実りの秋は感謝祭。穏やかな一日を過ごしました

お彼岸のお中日に亡き人々を偲ぶ

秋のお彼岸です。

蝉の声が聞こえてくる三連休の最終日です。

庭の草取りをした後で、書いています。

秋のお彼岸が近づくと、我が家の玄関に玉陶山の白薩摩を飾ります。

昭和五十六年に、亡き祖母、青木コハキの長寿祝いとして頂いた秋草模様の大花瓶です。

白薩摩の大花瓶

白薩摩の大花瓶

長寿祝いの大花瓶を贈って下さったのは、海軍第12震洋隊の隊長であった故松枝義久氏のご遺族の方々です。 震洋隊というのは、海軍の特攻隊です。

第2次世界大戦中、日本海軍は震洋という木造の人間魚雷を作りました。 日本は天然資源に乏しい島国です。 金属が不足して、終戦が近づいた頃は人間魚雷も木製だったのです。

敗戦の前年である昭和十九年の秋に、故青木コハキの家へ、第12震洋隊長の松枝氏が、ひょっこり立ち寄られました。 海軍の特命を受けられて南方へ向う途中に、三池港に寄港されたのです。 数日後には出航と言う事でした。

故青木コハキは、戦前は青木高等洋裁女学校を経営しておりました。 戦時中は海軍の軍需工場として、軍服やパラシュートを縫っていたそうです。 又、青木コハキの弟(私の夫の父親)は、鹿児島の内之浦で港湾作りの仕事に携わっていたこともあり、隊長のお父上のご家族と親交がありました。 そのようないきさつもあって、松枝隊長は海軍兵学校時代には、広島の江田島と鹿児島の実家の往き帰りにも、よく大牟田に立ち寄って下さいました。

三池港出航迄の数日間は、大牟田の青木洋裁女学校の生徒さんが、三池港へ第12震洋隊の方々を慰問に行ったりしたそうです。

この時、私の夫は松枝隊長から「忠孝両全」という四字を短冊にしたためられましたものを、頂いています。

忠義と孝行は両方ともに完全であること。

松枝隊長にとって、忠とは国への忠義であり、特攻隊員としての使命でした。 孝とは親への孝ですから、究極的には長寿と子孫繁栄を意味します。震洋隊に限りません。 この相反する2つの思いを背負って日本を旅立ったのが、特攻隊の方々でした。

原子爆弾が2つ投下されて、日本は終戦を迎えました。 敗戦後、奇跡的な経済復興を遂げました。 平和で豊かな日本が実現したはずでしたが、東日本大震災で、大きな原発事故が起きました。 放射能汚染を食い止めるために、現場で作業する方々は、21世紀の特攻隊員と同じです。 これが表向きの平和の中で行われている、今の時代の戦争です。

松枝隊長のご両親は、ご子息が祖国日本の大牟田ですごした最後の想い出を大切にされました。 ご両親やご兄弟の方々の想いが込められた白薩摩の大花瓶なので、秋のお彼岸の頃に玄関に飾っています。

亡き夫も故人の家族や戦死なさった遺族の方々へは最後迄応え、毎年、川棚である慰霊祭には欠かさず行きました。 故松枝隊長の母上から戴いた作品「らんのはな」も大切にしていました。

想い出の品々を四季折々、大切に活かしています。

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秋のお彼岸

九月二十二日(日曜日)です。

お彼岸ですから、我が家でゆっくりしていました。

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亡き祖母の姉上宅から、孫に当る方が、自宅の栗林から採ったばかりの旬の栗を沢山持って来てくださいました。

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早速、仏様へお供え致しました。

自然に囲まれて生活をしている田舎の方々は、旬の物を大切にしています。
実りの秋ですから、親戚や友人にもお福分け。
届けて下さるお気持が、有難いです。

昨日も、親友のルミ子さんが自宅の畑で採れた秋茄子を、沢山持って来てくださいました。

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「天候の加減で、今年は色々収穫出来なかった。」

と、残念そうに言われましたが、立派な茄子です。

厳しい残暑が続いています。

皆さまも、どうぞご自愛下さい。

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