柿とざくろに故人を偲ぶ

秋が来る前に玄関に飾る柿とザクロの絵は、
故家永勝之亮先生の作品です。

"家永勝之亮先生の柿"

”家永勝之亮先生のザクロ”

二科会会友の指導的存在が東郷青児氏だった頃、
大牟田市にいらした家永勝之亮画伯は、
自然を描き、感性の鋭い洞察力に秀でた先見性のある方でした。

家永先生が昭和50年頃に描かれた「文明苦」は百号の大作で、
今日を私達が抱える苦悩を見通した作品で、二科会の受賞作でした。

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芙蓉の花に故人を偲ぶ

仰ぎ見て

花も尊し

芙蓉峯。

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大正時代に祖母の夫の青木昇氏が読んだ詩に、
二科会会友の家永勝之亮画伯が、祖母の話を聴いて、
色紙に画いて下さいました。

故青木昇氏は久留米藩の氏族の末裔で、
大正時代には、中国へ海関長として派遣されましたが、
現地でチフスに罹り、帰らぬ人となりました。

病床で日本への想いを詠んだ詩です。

芙蓉の花と芙蓉峯の異名を持つ富士山に象徴される美しい祖国へ
帰国したい故人の願望が込められています。

兄の家の日本庭園

私の兄の家も日本庭園です。

玄関先には蹲(つくばい)があります。

"大藪の入り口の小薮"

庭から冠木門を観た景色です。

"大藪の冠木門"

勝手口も冠木門です。

"大藪の勝手口"

子どもがいなかった兄夫婦は何時も庭の手入れをして、
道行くひとを心和ませていました。

義姉の亡き後は、
ヘルパーさんや家政婦さんの支援を受けています。

庭の手入れも済みました。
周りの大木や垣根の古い貝塚も切ってもらったので、
すっかり明るくなりました。

お彼岸が過ぎて、私も一息着きました。

我が家の庭は日本庭園

我が家の庭は日本庭園です。

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母方の祖父は立花の師匠でした。

子どもの頃は、母の里の花坪(坪庭)で遊びました。
庭は、子どもや孫達を大事に育てる所でした。

日本庭園が好きなのも、
子どもの頃の思い出が記憶に在るからでしょう。

我が家の庭を、四十年ほど前に作って下さった庭師さんも、
今は次の方へと代わり、庭の管理が難しい時代になりました。

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手塩にかけて作って下さった我が家の庭には、
亡き先代が喜んでくれた思い出が刻まれています。

石畳には所々挽き臼が使われています。
冠木門は杉皮の屋根でした。
石灯路、竹細工の垣根、蹲の石も手の込んだ作りでした。

自然、人、物を大切に活かす事が好きな私の生き方です。

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秋のお干菓子で一服

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萩むらの

下もはかれて、

法然院

獅子谷如是の一句です。

夏の暑さも過ぎ去って、爽やかな秋の風を感じる頃となりました。

京都に行った卒園生の青年が、私の留守中に
敬老の日の御祝いの品を届けてくれました。

菊の花打ち物や桔梗の干琥珀、
薄たねに芒の焼印をほどこした麩焼煎餅、
色づき始めた野山を模した押し物、
黒糖と梅味の糖菓子など、
初秋の京の風情をとりどりした干菓子でした。

もみじと萩の花が咲く法然院の包装紙も
心を和ませてくれました。

彼の心優しさが一入身に沁む敬老の日でした。