亡き夫を偲ぶ秋

今は亡き夫の作品です。

雅号は泰申です。

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NTTを退職後、趣味で始めた篆刻、と篆書。

元来、父親譲りの器用な人でした。

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道法自然は初めての作品です。

師匠の平方研水氏に入門して、一年足らずで県展に入選しました。

機械や道具を集めるのが趣味で、
繊細、緻密な所は父親譲りでした。

篆刻の作品は、
夫の存命中に従兄弟さん方へ記念に差し上げました。

篆書の軸は、徳如海ー寿似山です。

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当時、条幅に書くのも多く、
座敷一杯に広げて、家の中も至る所が夫の作品の作業場でした。

夫の遺した書籍、道具、作品も段々と片付いてきました。
今年は、故人の遺品の整理の年であり、ご先祖様の供養の年でもありました。

味覚の秋は芸術の秋

故家永勝之亮画伯の好物は、
有明海産の魚でした。

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二人の子どもさんと三人暮らしでしたので、
ほいくえんの絵画指導にいらした時のお昼には、
何時も私の手作りのものをお出ししていました。

しゃつぱを出しましたら、最後の一匹をお持ち帰りになって
丹念に描かれました。

後日、

難しくて時間がかかりました。

と話されました。

我が家には、
私の子ども二人と夫へに描いてくださった
家永先生の作品が想い出として遺っています。

私に描いてくださった作品は、
沢山ありましたが皆さんに差し上げました。

家永勝之亮先生の遺作と思い出

故家永勝之亮画伯の「孔雀と子ども」は五十号の絵画です。

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50年近く前の話になりますが、当時、
保育園の子ども達へ毎週一回、絵画、造形の指導に来て頂き、
私も、大変学ばせて頂きました。

子ども達を大切にされた先生でしたので、
子ども達が何時も楽しみに待っていました。

寒い小雪の舞う時に、
県外の孔雀園に何回もスケッチに行かれて、
描いてくださった作品です。

五十号の画には、
先生の子どもを慈しむ優しさと、
こども達を素直に見つめる思いを感じます。

家永勝之亮画伯は二科会会友の方でした。

二科会は、大正二年に文展洋画部の新人が、
洋画部に第二科の設置を具申して入れられず、
文展を脱退して組織したもので、
当時は東郷青児氏が指導的存在でした。

柿とざくろに故人を偲ぶ

秋が来る前に玄関に飾る柿とザクロの絵は、
故家永勝之亮先生の作品です。

"家永勝之亮先生の柿"

”家永勝之亮先生のザクロ”

二科会会友の指導的存在が東郷青児氏だった頃、
大牟田市にいらした家永勝之亮画伯は、
自然を描き、感性の鋭い洞察力に秀でた先見性のある方でした。

家永先生が昭和50年頃に描かれた「文明苦」は百号の大作で、
今日を私達が抱える苦悩を見通した作品で、二科会の受賞作でした。

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芙蓉の花に故人を偲ぶ

仰ぎ見て

花も尊し

芙蓉峯。

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大正時代に祖母の夫の青木昇氏が読んだ詩に、
二科会会友の家永勝之亮画伯が、祖母の話を聴いて、
色紙に画いて下さいました。

故青木昇氏は久留米藩の氏族の末裔で、
大正時代には、中国へ海関長として派遣されましたが、
現地でチフスに罹り、帰らぬ人となりました。

病床で日本への想いを詠んだ詩です。

芙蓉の花と芙蓉峯の異名を持つ富士山に象徴される美しい祖国へ
帰国したい故人の願望が込められています。